開業まで
ふつうのサラリーマン家庭に育つ。父は、普通のサラリーマン。母は専業主婦といういわゆるごく普通の家庭に育ってきました。
ただ、父の実家は、小さな酒屋。母の実家は、銅器の町工場をやってました。その影響は少なからず受けていたような気がします。
両親とも親の苦労をみてきたせいか、堅気の仕事を選んでサラリーマンと希望していたようで、ごくふつうの家庭でした。
その後、大学卒業して、8年ほど一般企業に勤め、私自身サラリーマンとして勤務してました。今の仕事はまったく異なる、エンジニアとしてソフトウエアの開発に従事しておりました。(ここで培ったITスキルは本当にその後役立っています。)
それから、多種な飲食店で5年ほど働き、いまは亡き調布の名店みやこ焼きで働きはじめ、みやこ焼きの閉店のタイミングであずきや安堂を開業にいたりました。
あずきや安堂開業以降の経歴は、次の開業後をご覧ください。
開業後
あずきや安堂は、当初3名でスタート。アルバイトさんだけの状況から、現在社員3名のほか、30名ほどのアルバイトスタッフが在籍中。
2009年11月今川焼き あずきや安堂にオープン
自家製あんの今川焼きとしてあずきのほか、クリーム、白あん、うぐいすあんも作成する珍しい店舗。冬は今川焼きで、夏はかき氷のお店で、地元調布ではそこそこ名が知られてきたお店。
当初は、朝から晩まで働き続け、休みもほとんどなく勤務。夕飯食べながら寝てしまうくらいくたくたになって働いてた。そして、2010年10月妊娠発覚。ちょうどお店の1周年の準備をしようというときで、うれしいやらかなしいやら複雑な気持ちになりつつ、流産リスクがあったので、3週間自宅待機。店舗をアルバイトさんだけでなんとか回してもらっていたときでした。その後、復帰したのですが、2011年3月11日が起き、物不足のなか必死で働いていたら、原因不明の熱が1週間続く。血液検査すると血小板が少なくなり、怪我などしたときに止血できないレベルの状態になっており、また、戦線離脱する。その後、7月無事出産して1か月後から現場復帰。
自分がいなくても、なんとかアルバイトさんだけで店舗を回してもらうという経験は、実は、このときが原点になっています。
2014年5月唐揚げとり多津つつじが丘をオープン
6坪で、初月1200万円売ってとり多津全店舗のうちほぼ最高記録。また、クリスマスには、1日40万円近く売り、全店舗で1位。
2015年4月あずきや安堂 吉祥寺店を期間限定でオープン。(2015年10月契約満了)
商業施設内でのオープン。商業施設のルールは、路面店ところなり、独自のルールがあるので、ここでの出店経験は後々に財産となる。
2017年5月 とり多津 調布店をオープン
キャバクラなどの多い立地前。キャバクラの客引きのお兄さんたちと仲良くなるw。ランチのサラリーマンの持ち帰りが多い店舗。
2018年3月 とり多津 笹塚店オープン
京王線笹塚のモールの中でのオープン。年配の方が多い立地で総菜系のものがよくでる。
そのほか、単発で、百貨店の催事出店や、フードフェス出店などにも出店する。実績数はさほど多くはないが、路面店とは違ったノウハウがあり、それらを蓄積している(現在も引き続き行っています。)。
2017年 餃子フェス イン大阪城公園(かき氷)
2014年から2019年テレビ朝日のサマーステーション(かき氷・6年連続)
2017、2018、2019年東京おやつショー(梅田阪急・かき氷と今川焼)
2018年5月 東京競馬場フードフェス(からあげ)
2019年2月 銀座松屋地下催事(今川焼)
2019年12月 宝塚阪急食品催事(今川焼)
調布の花火大会(2016年、2019年)
など
すべてが順調に進んでいるわけではありません。でも、だからこそ楽しく経営できるのではないのかと思っています。
ちなみに、よく勘違いされるのですが、あずきや安堂は、嫁ぎ先の安藤から取った名前ですが、つれの家業ではないですし、一緒にはやってません。つれは、あずき嫌いなので、まったくあずきには興味ないのです^^

安藤香織 出身:東京都八王子市 趣味:食べ歩き(B級)、ジムでほどよい筋トレ